3、人間について

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人間はどこから来たのでしょう?

画家ゴーギャンの作品に『我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか』という題名の絵があります。
これは人間の本質への問いかけであり、見るものに強烈な印象を与えます。「人間はどこから来たのでしょう?」聖書はすべてのものは神(創造主)によって創造されたと語ります。

進化論という思想

ところが、それに真っ向から反対する思想が19世紀半ばに出てきました。それまでも進化論という思想はあったのですが、チャールズ・ダーウィンによって発表された自然選択(自然淘汰)説が世の中に受け入れられ、世界に広がりました。
但し、ダーウィン自身は「人類はサルから進化した」と明言しているわけではなかったのです。正確に言うと自然淘汰説の「より良いものが生き残る」という考えが「進化という思想」に発展していったのです。

そして、その説を科学的真理であるとして人々が受け入れたとき以来、聖書は非科学的で時代おくれであるというレッテルが貼られました。しかし、進化論ははたして科学的な真理でしょうか?創造主によらず、ただの偶然の結果として世界が存在するようになったとする進化論は信じるに値するものなのでしょうか?

偶然から秩序は生み出せない

統計学者のジョージ・ギャラップ(George Gallup)氏は、「人体の全機能が偶然に出来上がるという確率は統計学的に不可能だ。」と語ります。

また、生物学者エドウィン・コンクリン教授は「生命が偶然に生じる可能性は、印刷所が爆発した結果、辞典が出来上がる可能性に比べられる。」と語っています。

物質から良心が生まれるはすがない

生命のない物質が、何の計画性もなく、誰の助けもなくいのちを生み出すことは不可能です。また進化した物質から精神が生まれ、さらに精神が良心を生み出すという思想は果たして信じるに値するものなのでしょうか?

進化論で説明できない6つのこと

1)人間の脳 - 天才と言われる人でも脳の10%しか使っていないとよく言われます。これはウィリアム・ヘルマンスの著書『アインシュタイン、神を語る』に書かれたためですが、アインシュタインが語ったかどうか真偽のほどはともかく、人間の脳はフル稼働した結果現在の大きさになったのではないことだけは確かなようです。

2)クジラの存在 - 一旦陸に上がった哺乳類がまた海へ戻ってクジラとなったいうことは進化論では説明出来ません。

3)フクロウチョウの擬態 - 鳥の天敵フクロウの目の擬態をするフクロウチョウがなぜ見たこともないフクロウの擬態が出来るのか進化論では説明出来ません。

4)生きた化石シーラカンス - 長い間、進化論では中間種だとされ、教科書に掲載されているシーラカンスが化石と同じ姿で今も存在していることを進化論では説明出来ません。

5)ハチドリのホバーリング - 普通の鳥の羽ばたきと全く違う飛び方をするハチドリのホバーリングを進化論では説明できません。

6)サルモネラ菌の鞭毛モーター - サルモネラ菌の分子モーターの超高速回転と瞬時に停止する驚異の仕組みを進化論では説明出来ません。

ダーウィンの種の起源

ダーウィンが唱えた進化論は一時期、どんな反対論も太刀打ち出来ない強力なものでしたが、分子や原子の特性や構造が解明されるに従って、進化論は基礎のない空中楼閣のような空論であることが明らかになりました。そして、多くの科学者たちは進化論は真理でないことを認めています。

人間には自由意志が与えられた

神(創造主)が人間を造られたとき、ただ機械的に神に従うロボットのようにはされませんでした。もしそうなら人間と神(創造主)との人格的交わりや愛の関係は成立しないのです。神(創造主)は人間を従属させる存在として造られたのではなく、人間に自由意志を与えられました。

例えば親が子供を力で支配し従わせ、本人の意思を尊重しなかった場合、そこには愛の関係は生まれません。強制ではなく自由意志に基づく関係で結ばれてはじめて正しい愛の関係が生まれ、真の幸福が生まれるのです。

それと同じように神(創造主)は人間に自由意志を与え、人間を価値あるものとして尊重し、人格的愛の関係を持つようにされました。

罪を犯した人類

神(創造主)が造られた最初の人間アダムには全く罪はありませんでした。神(創造主)はエデンの園の中央に「いのちの木と善悪の知識の木」を生えさせ、善悪の知識の木から取って食べてはならないと言われました。これは人間が自由意志で神(創造主)を選択するかどうかを明らかにするものでした。神(創造主)のことばに従うかどうかの試金石となったのです。

しかし、人間は神(創造主)の期待に反して、その戒めを破ってしまいました。ここに人間の罪の本質があります。罪とはヘブル語でハマルティアといいます。例えばアーチェリーなどで放った矢が的を外すという意味です。神(創造主)という本来信頼するべき方からそれて的外れな人生に陥ることです。

罪の結果

罪を犯すまで人間は死とは無関係で永遠に生きる存在でした。しかし、人類の代表であるアダムが罪を犯した結果、人は神(創造主)を避けるようになり、また、神の警告の通り、人は死ぬものとなりました。

「そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界にはいり、罪によって死がはいり、こうして死が全人類に広がったのと同様に、――それというのも全人類が罪を犯したからです。」(ローマ5:12)

罪は神(創造主)と人とを断絶します。罪の罰は死です。アダムが罪を犯した瞬間、アダムは霊的に死にました。肉体はすぐには死にませんが、やがて必ず死ぬものとなったのです。

全人類に及んだ罪と死

アダムが犯した罪はすべての人類に及びました。アダムの長男カインは、人類最初の殺人者になりました。しかも自分の弟アベルを殺すという殺人の中でも重い存続殺人でした。こうしてすべての人は生まれながらの罪人となったのです。

身体・魂・霊

人間は霊と魂と身体で成り立っています。身体は物質であり、この世限りのものです。2つ目の魂のことを聖書は「心」とか「精神」と表現しています。3つ目の霊は神と交わる部分です。ですから神(創造主)から離れた人間は魂と身体は生きていても、神(創造主)の前に霊的に死んだ状態になっています。霊的に死んだ状態でこの地上の生涯を終えるなら罪の結果必ず罰せられ、永遠の刑罰に服さなければなりません。これを聖書は魂の滅びを言います。

いのちへの回復

最初の人アダムは自由意志を乱用することによって、神(創造主)との断絶を経験しました。その結果、生まれながら罪人となった私たち人間に、神(創造主)はもう一度いのちへ回復する機会を与えてくださいました。

「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。」(ヨハネ5:24)

上の聖書のことばの中で、わたしとはイエス・キリストのことです。わたしを遣わした方とは神(創造主)のことです。ですから神(創造主)に遣わされてこの世に来てくださった神のひとり子イエス・キリストを信じる者はさばきに会うことがなく、永遠のいのちを持つこと出来るというのです。

罪からの救い

神(創造主)は聖であり、義である方ですから罪を見過ごすことは出来ません。罪に対して必ず刑罰が伴います。神のひとり子イエス・キリストは私たちが受けるべき刑罰を身代わりになって、十字架でその身に負ってくださったのです。これにより罪の代価は完全に支払われ、聖なる神の要求は満たされたのです。

イエス・キリストの十字架と私たちを結びつけるものは、ただ一つだけです。それはイエス・キリストを自分の救い主として信じ受け入れることです。私に代わって十字架つかれ、私たちが負うべき罪の罰を引き受けてくださったことを信じ受け入れるとき、神はあなたのすべての罪を赦し、永遠のいのちを与えてくださいます。それは罪を犯さなくなるという意味ではなく、過去、現在、未来のすべての罪が赦され、罪のためのさばきを受けることがなくなるということなのです。

すべての人間の前には二つの道があります。永遠のいのちに至る道と永遠の死です。どちらを選ぶかはその人の自由意志にまかされています。善悪の知識の木の実を食べるか、神(創造主)のことばに従うか、アダムの自由意志にまかされたのと同じです。是非、いのちへの道を選ばれますようお勧めします。

初級3 人間について

 人間に関する質問が10問あります。上の文章にヒントがありますので、よくお読みになってからスタートしてください。80点以上得点出来たら次へお進みください。