夜7時、娘を連れてホスピスに行きました。日曜日以来一言も話さないままになっていたので家内が呼び寄せたのでした。ところが娘は訪問に対してとても警戒的でした。何故今晩私がホスピスに行くの?何か特別な意味があるの?辛い報告があるの?とピリピリしていました。お母さんと会える喜びよりも次は何が起こるのかという心配のほうが大きいのです。無理もないことです。7月中旬の告知以来発表される報告は泣きたくなるようなショッキングな内容が多かったのですから。私は車中、活性リンパ球の準備が順調に進んでいることを知らせました。大変な喜びようでした。そして今度は癒された時のパーティーの計画や献立を事細かに提案してきました。
帰りの車中ではまたしても質問攻めが始まりました。極めつけは何でお母さんが癌にかかったの?です。
もしここまで悪化した人が癒されたらたくさんの病気の兄弟姉妹に励ましとなるじゃないか。じゃあ、癒されなかったらどういう意味があるの?私たちにとってどういう意味があるの? 私にとってどういう意味があるの?
どうにもやり場のない思春期のギリギリ一杯の所にいる女の子に伝わる言葉を私は持ち合わせていません。理論的には説明できます。しかし彼女が欲しいのは論理的説明ではなく信仰体験なのです。活けるキリストご自身の体験です。父や兄が捉えているものを自分も会得したいのですがどうにもならないもどかしさがあるのだと思います。自宅に帰ると彼女は夕食の準備をしてくれました。そして食べ終わると頭が痛いと言って風邪薬を飲んで寝てしまいました。疲れきって泥のようにベッドに倒れ込む姿を見るともっと優しくしてやりたいと反省します。私にとっては良き父親であることは良き夫である事よりもはるかに難しい事です。特に息子に対するより娘に対して自分の足りなさを痛感します。しかし悲観してはいません。この経験はきっと将来宝になると信じているからです。そして今為すべきことが何なのか見えているからです。
今父親として彼女にできることは、何で癌にかかったかをしたり顔で論述することなどではなく癌にかかったこの現実に対して自分の両親がどのように立ち向かって行くかを見てもらう事だと思います。なぜなら如何にして戦っていくかは如何にして神の導きを知り如何にして神の知恵をいただき如何にして神の介入を経験するかにつながるからです。神様が両親というペンを使って描かれる神の恵みの物語を読んで欲しいと願うのみです。
部屋に入った時家内は嘔吐反応に苦しんでいました。紙おむつの替えのために右を向き左を向いただけで気分が悪くなったのです。めまいと気持ち悪さです。吐き気には吐き気止め、めまいにはめまい止め、痛みには痛み止めがあるので有難いですが何か解決が他にあるはずだと必死で考えています。
幾人かの専門家に相談します。この気分の悪さ、及び身体の黄色い肌が気になります。どうぞお祈りください。そして19日、25日の免疫細胞療法が用いられますようにお祈りください。また子どもたちのためにもお願いします。皆かなり疲れが溜まっています。
Filed under: report on 9月 14th, 2009 | コメントは受け付けていません。
家内は昨晩少し身を起こしただけで激しい嘔吐反応が引き起こされる状態でした。ベッドのすぐ隣のポータブルトイレへの移動でも同じ事です。それで体調が安定するまで紙おむつをすることにしました。これにより嘔吐反応から解放されました。ナースもホスピスならではの手厚い看護をして下さったおかげでゆっくり睡眠をとることが出来ました。どうぞこのめまいによる嘔吐反応から解放されますようにお祈りください。これがあると外出が困難になります。<br /><br />
昨晩ホスピスを出るとき彼女は最悪のコンディションだったので私は家に着いてからも心が晴れず、ただただ詩編を最初からをむさぼり読んで祈っておりました。31編9~10節に来たとき三千年も前に私の祈りが聖書に記録されていたかのような気がしました。そして14節と15節にさしかかった時に聖霊が書かしめたみことばを私自身の祈りとしました。「しかし主よ。私はあなたに信頼しています。私は告白します。「あなたこそ私の神です。私の時は御手の中にあります」
夜中の2時前くらいにふいに平安が降りてきました。魂の深みにまで届くあの慰めです。主はきっと今彼女を支えてくださっている、と思えたのです。後で聞くとその通りでした。<br /><br />
主からいただくこの平安は一度いただくと自動的にずっと続くものではありません。特に私の場合は有効期限があります。長く持って今日一日分だけか、次の試練の時までです。だから毎日毎時途方に暮れる度に主のところに行って新鮮な平安をいただき続けねばなりません。試練の時にはどう祈ってよいかわからないのですが詩編は千千に乱れた者の心を無理なく主に繋いでくれます。ご聖霊は霊感されたみことばを持って天の至聖所へと導いて下さるんだなぁと感謝しました。天国に帰ったら苦労人ダビデにも感謝します。
朗報です。先程確認出来ました。
活性リンパ球の培養は一度で二回分確保出来ました!これで19日と25日の連続治療ができることになりました。まだ癒された訳ではないのに嬉しいです。荒野のオアシスを見た思いです。主のあわれみにひれ伏して感謝します。兄弟姉妹の執り成しに感謝します。取り急ぎご報告致します。お祈りを心から感謝しつつ。
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朝起きてすぐに主に呼ばわりました。「今日試みに会わせないでください。またやってきた試練は全て耐えることができるものばかりだという信仰をください。そして耐えることができるように脱出の道を与えてください」
昨晩初めて使ったフェンタニルが劇的に効き夜中にトイレに立った時も嘔吐反応はありませんでした。とても良く休めました。
この事を通して彼女は自分の強情さを示され悔い改めました。良い鎮痛薬があるのに自分の判断と頑張りでそれを退けていたのは傲慢だったと言いました。勉強すれば物知りの人になれます。運動すれば健康な人になれます。留学すれば語学の人になれるでしょう。しかし砕かれた人は主の取り扱いなしにはなれないようです。最大の難工事は自分自身だと毎日涙しながら痛感しています。
朝、昨日の内にコーディネートしておいた礼拝用の服に着替えました。彼女は両手を組んで祈りながら出発ギリギリまで横になりました。体力を温存するためです。今日一日の体力と助けを求めて三人で祈りました。息を整えてベッドから車椅子に移ります。フゥーっと深い息を継ぎ、さあパンさき集会に出発です。兄弟方一人一人の祈りに頷きながら主を賛美礼拝しました。アーメンと声を出す力もありませんが酸素吸入のシュッと言う音が言葉にならない神様への捧げ物のようでした。
時折目を開けて彼女の様子を見ていたのですが賛美の時の彼女を見て驚きました。顔も眼も真っ黄色になっているではありませんか。礼拝前には気がつかない変化です。礼拝が終わり報告会が終わった時さすがに疲れがどっと出たようです。「黄疸だ」急いでホスピスに運んでもらいました。ただ座っているだけなのですが今の彼女にとっては大変な体力消耗になります。私は3時半くらいにホスピスを覗きましたが疲労と痛みでフェンタニルを入れるところでした。
部屋では彼女は体力の無さを嘆いていましたが何を嘆くことなどあるものか。君は今日走るべき分の道のりを走りきった。よくやったじゃないか!隣にいて誇らしくてたまらなかったよ。君は力の限り主を礼拝させていただいた、主は喜んで受けてくださった、これに勝ることはありません。命懸け。
しばらく彼女は落ち着いていました。しかしトイレに立った後でとても目を開けていられない状態になりました。麻薬系薬剤と鎮痛剤をダブルで入れたことによる副作用なのかドクターに聞きました。おそらく関係は無いでしょう、というのは今投入している量は副作用が出るとは思えない量だからです。しかし目を開けると世界がぐるぐる回ってトイレにもいけません。治まっていた嘔吐反応がまた出ました。激しい乗り物酔いの状態です。間近で見るとかわいそうでなりません。ドクターによるとこの原因は自律神経が失調していることによるものだという見立てです。また爪の色を見ると黄疸ではなく疲れが出たことによる体色の変化だということです。彼女は私が想像するより力を出し切っていたのです。症状を抑えるためにメイロンというアリカリ剤と吐き気止めの注射を打ちました。
主よ。お願いです。彼女を助けて下さい!そして19日の治療を受けさせてやって下さい!私は傍らにいて見るに忍びません。
「私は多くの人にとって奇蹟と思われました。あなたが私の力強い避け所だからです。」詩編71:7
学びでも触れましたが、私は最近十字架に掛かられた主イエスさまを身近に見上げていた女たちの事を考えます。愛する主イエスの身の上に次から次へと苦しみが襲いかかるのを近くで見ていた者たちの事です。彼女達はどうして愛する主が傷を負わされてゆく惨状から目をそらさず凝視出来たのでしょう。
恐らく次の瞬間に奇跡を期待していたからだと思います。そしてこの次の瞬間への期待が彼女たちをしてゴルゴダの十字架にまでつきしたがわせたとも言えると思います。
こんなにもあってはならないことがいつまでも続く訳がない、次の瞬間に主は十字架から降りて勝利宣言なさるに違いない、そして神への反逆者たちを徹底的に裁かれるに違いないと信じていたからこそあのむごたらしい現場に立ち続けることが出来たのだと思います。
彼女たちがそう考えるのは当然でした。それまでの主のメッセージがご自身こそユダヤ人の王なるメシアだと伝えていたからです。しかし主は彼女達の期待とは違って十字架から降りる事もなく、反逆者たちは裁かれる事もなく却って主が裁きを甘んじて受けられたのでした。では女たちの信仰は完全な的外れなんだと一笑に付してしまってよいのでしょうか。私はそうは思いません。というのは彼女たちが期待した奇跡は「次の瞬間」には起こりませんでしたが神のタイミングで起こったからです。主は3日間という時間をおいて死を打ち破り復活して勝利宣言されたからです。女たちの考えていた「次の瞬間」に反逆者か滅ぼされることはありませんでした。しかしあのカルバリの事件からおそらく2000年の隔たりをおいて艱難時代の最後には主自らが反逆者たちを徹底的に裁かれるからです。女たちが考えていた時や方法ではありませんでしたが主は究極的には王として君臨されることで彼女たちの信仰に答えられるのです。
私は目の前で家内の病状が悪化して行くのを見ながら「次の瞬間」の奇跡を期待しています。最終的には全て主がお決めになることです。私は主に命じる権限などありません。ただの被造物が創造主に対してコマンドを与えるなどあり得ないことです。神に請求する資格はありません。しかしあわれみにすがることは許されています。主はあわれみ深いからです。
私たちは「次の瞬間」の主のみわざを期待して次の治療を試します。この態度は今の私に必要です。私たちの神は無力な方ではなく私たちの想像をはるかに越えて偉大な方だと信じ続けることにつながっているからです。
アブラハムは自分からでる子孫が約束の地で増え広がり空の星、海辺の砂のようになるとの約束を信じました。それはいつか必ず実現すると信じました。ただいつかとは言っても少なくとも自分の生きている間だと考えていたとは思います。なかなか成就しないけれど彼もまたいつか訪れる「次の瞬間」を期待していたに違いありません。しかし彼の目の黒い間に彼自身が見た約束の子孫は息子のイサクと孫のヤコブのたった二人だけでした。しかも二人とも約束の地で寄留者で生涯を通したのです。しかしアブラハムは神に騙されたとは思いませんでした。自分の想像をはるかに越えた神の計画の偉大さを考えたのです。しかしその信仰に至るまでに数え切れない「次の瞬間」への期待とそれに対する主の答えがありました。だからこそ人生の終わりに自分の考えを超えた神の偉大さを思い巡らせて礼拝出来たのだと思います。彼が与えられていた約束は千年王国と新天新地において実現します。気の遠くなるような遠大に計画です。
目に見える現実はなんと人をガッカリさせることで満ちていることでしょう。その背後にはサタンの策略があります。奴は信仰者をガッカリさせることに全力をあげます。なぜならガッカリしている間人は見るべき恵みを見失い動かすべき手を止め歩むべき歩みを停めてしまうからです。
私の義人は信仰によって生きる。もし恐れ退くなら私の心は彼を喜ばない。「私たちは恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つものです」
Filed under: report on 9月 13th, 2009 | コメントは受け付けていません。
朝家内の体調を聞くため恒例の携帯会話をしました。家内は昨晩何度も目覚めましたが第一声は「私は平安よ」復活の主イエスに対する信仰が与えられています。
私は家事をやり終え3時頃Yホスピスに行きました。部屋に入ると彼女の大好きなコスモスが花瓶に活けてありました。兄弟姉妹の愛に感謝。
この数日で彼女の体重はグンと減りました。ベッドの傍らに腰掛け改めて彼女を見るとなんだか小さくなっていました。声も小さくなりました。また痛みがあちこちに広がっています。今までは座薬で痛みを凌いでいましたが、数日前から注射でコントロールしています。今日は痛み止め注射を打ちましたが効きが悪いため座薬も入れました。ところが幾分かは軽くなるもののまだ胃や肩や腰に痛みが残ったままです。先週のコンディションとはまるで違います。私はより効き目の高い痛み止めを勧めました。今の彼女に我慢させることの利点を何も見いだせないからです。
痛いと眠れません。眠れないと体力が落ちます。体力が落ちると気力が萎えます。気力が萎えると体力はもっと落ちていきます。
私は薬局でようやく見つけた温湿布と私自身の手のひらで彼女の痛む場所を温めました。すると数分たたないうちに彼女は気持ちよさそうに眠りに落ちました。小一時間ほど休んだあと目をさましました。やっぱり胃が痛いと言って。
ナースを呼んで対応してもらいました。舌下にしばらく薬液を含んでゆっくり飲み込みます。ようやく痛みが治まり始めました。フェンタニルです。医療用の麻薬系鎮痛剤ですがモルヒネよりも副作用がありません。しばらくすると彼女はすやすや寝息たてて眠りにつきました。私は一旦帰宅しました。
夜8時半くらいに彼女に特に頼まれた服を持って行きました。
それは明日パンさき集会で身につけるものです。今はゆったりしたものしか着ることができません。しかし主への礼拝の場に出るならば心だけではなく装いも姉妹らしく清楚で麗しくありたいと願っての事でした。私は彼女のこの姿勢が大好きです。女性らしい美しいときめきを抱いて主にお会いしに行こうとする姿勢です。そして主をお喜ばせしようとする時の女性は本当に美しいと思います。それは聖い美しさです。
私も少し協力しようと思いイスラエル土産にエルサレムの宝石店で買ったダビデの星のペンダントを持って行きました。彼女は大変喜びました。
明日パンさき集会に臨もうと祈っています。しかし彼女の体力はかなり落ちています。1週間前とは別人です。今日一日は間段なく続く痛み、不快感とそれに対する対応で日が暮れました。主に対する信仰は賜物として途絶えることはありません。しかし信じていても苦しいのは苦しいし、しんどいのはしんどいのです。彼女が一回の注射で入れるのは、吐き気止め、消化剤、痛み止です。ホスピスのナースたちは本当によくやってくださいます。頭が下がります。ただ明日パンさき集会に行けるかどうかは明日の朝の体調次第です。今晩は長男が泊まります。
私は朝9時にホスピスに入り本人、ドクターとよく話し合って決定します。正しい判断と導きのために、また何より今晩彼女が不快感から解放され本人の体力が回復しますようにお祈りください。毎日が祈り無しには進んでいけませんが明日は特にそうです。どうぞよろしくお願いします。
Filed under: report on 9月 12th, 2009 | コメントは受け付けていません。