7/19

いつものようにラジオから流れてくる「聖書と福音」を二人で聞きました。あまりにもぴったりのメッセージでした。自分が語ったとは思えません。主が語らせてくださったのです。流れてくる讃美歌に励まされ心が震えました。「主とともにあゆむ」という讃美です。

主とともにあゆむその楽しさよ。
主のふみたまいしみあとをたどる
ひと足ひと足主にすがりて
絶えず絶えず我は進まん

本当にアーメンだね!とうなずき合いました。
霊的な詩は傷を負うものの魂の深いところに希望のメッセージを届けてくれます。私たちは天からのエールを受けとりました。「主よ。ついて参ります!どこまでも。いつまでも」静かな朝でした。

礼拝後の報告会で彼女の病気について発表しました。何もしなければ年は越せないと言い渡された末期ガンだと報告しました。
同時に今後の治療方針及び回復のための祈りを要請しました。

私たちは家族だけで戦うのではありません。私たちには頼もしい信仰の家族、神の家族がいるのです。

ところが私に用事があって話しかけてくる兄弟姉妹は皆用件だけを伝えるとそそくさと離れて行きます。目をあわそうともしません。私に何と声をかけてよいのか分からず事務的な会話だけです。
「みんな気を使ってくれているんだなあ」こんな事を書くのは不謹慎ですがあまりにもわかりやすいので少し笑ってしまいました。しかし後になって私がピリピリしたムードを発散しているのではないかと反省しました。
対照的に娘はたくさんの姉妹から泣きながらハグされたようです。ありがたきかな神の集会。頼もしきかな神の家族。
我が家の子どもたちは集会で育てていただきました。これからもよろしくお願いします。

7/18

我が家にはいくつか伝統があります。

その一つはシャバットです。これはユダヤ人が大切にしている安息日の事です。私は何度もイスラエルに行きましたがシャバットの夜が一番好きです。金曜日の日没から土曜日の日没までがシャバットです。その夜は家族全員が集まって主なる神様を喜ぶのです。私はこのアイデアを拝借することにしました。長男が小学校に入ったころから週に一回時間をかけて家族で子どもにも分かる聖書の話で神様を喜ぶ日を設けたのです。本当は毎日やればよいのですが多忙な私が家族に提供出来るのは週に1日でした。その代わりにとても力を入れました。私は手作りの紙芝居を毎週作りオリジナルバイブルメッセージをしました。その後で家内が手作りデザートを出します。楽しい話と甘いお菓子は子どもたちの心を開きました。そこで私たち両親が大切にしている聖書の価値観をしっかり伝える努力をしたのです。彼らにとってシャバットはわくわくドキドキする日となりました。
しかしこの日のシャバットはそうではありませんでした。なぜなら子どもたちに家内のガンを説明することにしていたからです。

私は子どもたちを呼び集めヨハネの福音書11章4節を開きました。
イエスはこれを聞いて言われた。「この病気は死で終わるだけのものではなく神の栄光のためのものです。神の子がそれによって栄光を受けるためです」

「みんなに話したいことがあるんだ。お母さんの病気は第4ステージのガンです。現代医学には治せないほどの病気なんだ。でもこんなことがおこるのは神様が私たちを愛していないからではない。むしろこの事を通して神様は私たちを特別に愛しておられることがはっきり分かる機会として許された事だと思う。イエスさまがとても愛していたラザロも不治の病にかかってしまったね。それはラザロ本人にとっても彼の姉さんたちにとってもまたイエスさまにとっても辛いことでした。イエスさまはその辛いことをただ取り除くのではなく神様の栄光のための聖なる現れとして用いてくださったんだ。イエスさまの偉大さが現されるための病気なんだ。我が家もベタニヤの一家に優るとも劣らないほどイエスさまに愛されてきたよな。この病気はイエスさまのみ力が現されるためだと信じて最善の努力をしながら祈っていこう」

そして私は末期ガンから奇跡的に生還した患者たちが取り入れた生活習慣、接種していたサプリメント、ガン治療に効果を発揮するといわれるいくつかの療法をやってみるから祈ってほしいと言いました。
私としては事実とともに希望を述べたつもりでしたが子どもたちのショックは大変なものでした。沈黙と嗚咽。不憫です。彼らの悲しみを目の当たりにして私は主に願わずにおれませんでした。
「主よ。どうぞあわれんで下さい。癒して下さい。この子たちから母親を取り上げないでやって下さい。彼らを泣かせないでやって下さい」

私はこの報告を彼らひとりひとりがどう受け止めたかを尋ねました。

長男は涙ながらに自分の信仰生活を振り返って言いました。最近の自分はひと頃のように必死で主にしがみつくような真剣さがまるで無かった。生ぬるい歩みしかしていなかった。でもこのことで目が覚めた。お父さんの代替医療の説明を聞いてこれを真剣勝負で祈って行こうと思った、と言いました。

次男も涙をポロポロ溢しながら言いました。お母さんが精密検査を受けると聞いた時にひょっとしたらガンじゃないかという予感がしたけどやっぱりガンだったのか!
僕はマザコンに近いくらいお母さんが大切なんだ。お母さんは今までの人生の中で誰よりも僕をかまってくれたひとだった。お母さんがいない毎日を僕は想像でけへん。だから僕もお母さんが癒されるように全力でお祈りするわ!

娘に聞きました。するとすごく怒っているのです。私がどう思うと聞くと睨みつけるのです。「どう思うって…!そんなんわからへん!そんなひどいこときかんといて!」そして聖書を開きました。詩編46編10節です。「やめよ。わたしこそ神であることを知れ。わたしは国々の間であがめられ地の上であがめられる」
お母さんの状態と代替医療の話を聞いて本当に治るのかまるで分からない、治らないかも知れないって思うけど、そんな不信仰な態度を「やめよ。わたしこそ神であることを知れ」と言われていると思う。それだけ。今はこれ以上きかんといて!
皆泣いています。私も悲しくて堪りません。家内は極めて冷静です。泣くことも取り乱すこともなく彼女はひとりひとりを見つめながら言いました。

「みんな今はじめて聞いてびっくりしたと思うけどお父さんが言われたことは全部本当のことなの。お母さんが重いガンだという事。でも主が栄光を現してくださるのも本当の事なのよ。みんなには主イエスさまがついてるんだからしっかり立ってくださいね。それからみんな3年前の事覚えてる?次男のクラスメートのUさんは中学三年生の2学期中間テストの最中にお父さんが亡くなられたでしょう。でも彼女は悲しみをバネにしてあのT高校に合格したでしょう。みんなもお母さんの事を心配し過ぎて今自分がしなければならないことがおろそかにならないようにしてね。余計な思い煩いにはまりこまないためにも一生懸命勉強してね。問題は見つめすぎると問題に飲み込まれてしまうのよ。私たちが見つめるのは主ですからね」

長男が祈りました。皆めいめい自分の部屋に行って祈りました。

7/17

左腎臓を貫通する管が押し潰されていました。これが腰の痛みの原因のひとつです。この管を通りよくする手術を本日金曜日13時半からS病院で行いました。

病院には姉妹たちや母が駆けつけてくれました。手術そのものは簡単な処置だと聞いていました。
20分程ですむのです。とは言っても手術をするに至った原因は決して生易しい病気ではありませんでした。
私は待ち合いの廊下の椅子でひたすら祈りました。予定の20分はとうに過ぎています。
ようやく出てきた時には1時間を越えていました。ガン細胞がかなりの範囲で尿管を圧迫していたために手間取ったのです。スムーズに通らないのでトンネルを掘り進むように尿管の中に人口チューブ(ステント)を入れました。部分麻酔のためにかなりの痛みに耐えねばなりませんでした。

手術室から真っ青な顔色で彼女が出てきました。

-どうだった?
-成功したわ。
-あぁ良かった!

まずは第1関門を突破させていただきました。私たちはこの結果を受けて明日M病院に行きさらに原発ガンの所在を探ることにします。

7/16

「健康だけが取り柄です」が口ぐせの家内は今年に入って疲れやすくなりました。

5月には腰が痛いと言って整骨院でマッサージを受けていました。しかし痛みは一向に治まりません。
6月には激痛がはしるようになったため近くのかかりつけ医院に行きレントゲン、エコー、CT、血液検査をしました。それでも原因ははっきりしなかったためこの日東住吉森本病院に行きました。ここで像影剤を入れたCT検査を受けたのです。彼女は一人で病院に行き一人で帰宅するつもりでした。ところが検査結果についてはご主人に来てもらってほしいと言われたのです。イヤな予感が過りました。救急外来のドクターが検査を解析しているようでした。
本人は検査の後で背中の痛みを和らげる点滴を受けてベッドの上でした。彼女がまだベッドから離れられない間に私一人が診察室に呼ばれました。
ドクターの面前には先程撮影したCT画像が貼り出されていました。ドクターは言いました。「ご主人、びっくりせんといてくださいね。奥さんはガンです」私はびっくりしませんでした。ガンと言っても今は治る病気だと知っていたからです。もちろん早期発見ならという条件付きですが。
だからすぐに聞きました。「ステージはいくつですか?」「第4ステージです」血の気がさーっと引いて行くのがわかりました。第4ステージとは末期ガンを意味するからです。「何とかなりませんか」「ごめんなさいね。ここまで広がっていたら完治は無理です」
私は落ち着くために深呼吸しながら祈りました。主よ、ともにいてください!
私はのどがカラカラになりながら聞きました。そんなにひどいのですか?
彼はとても丁寧に説明してくれました。肝臓に3センチほどのガンがあります。またその回りのリンパにもガンがあちこちに散っています。
私も示された画像を見ながら数えてみると9つです。ガン細胞は腎臓と膀胱を繋ぐ尿管までも塞いでいました。左の腎臓が自ら作った尿が逆流しているため腎臓はパンパンに腫れ上がっていました。いわゆる水腎症です。これが背中の痛みの原因でした。さらに肝臓もリンパも転移ガンであって原発ではないというのです。身体のどこかに元になったガンが潜んでいるのです。
私は曖昧なまま終わりたくありませんでした。いや、終われませんでした。それで思い切って尋ねました。「余命はどれくらいですか」「今すぐ抗がん剤治療をして長くて半年が精一杯でしょう。どんな抗がん剤治療をするかセカンドオピニオンを聞いてもらって結構です。なんの遠慮もせんといてくださいね」「もし抗がん剤治療しなければどれくらいですか?」「3ヶ月くらいです」彼の口から出てくる言葉は私の考える最悪を上回るものばかりです。
「とにかく原発を見つけましょう。まだ若いんだからとにかく強い抗がん剤をやってみる価値はありますから」やってみる価値ありとは治るという意味ではありません。それをしないよりも延命出来るという意味です。しかし私はこの辺りから夢を見ているような気持ちです。信じがたいことが告げられているからです。世界中の音が消えたかのように思いました。今朝元気よく家を出た私の最愛の人が死の淵に立っているとは。主よ、私はどうすれば良いのですか?なんとか説明を胸に納めました。
するとみるみるうちに涙が溢れだしました。ドクターも痛く同情し涙を浮かべていました。話しているうちに互いに気付いたのですが中学時代の同級生だったのです。ドクターは私をともなって家内のベッドまで行きました。そしてあくまで彼女にはガンであることを隠して明日腎臓の腫れを取る処置をしたらきっと良くなりますよ、と説明しました。彼女はほっと安心して喜んでいます。しかし彼女が喜べば喜ぶほど私の心は苦しくなりました。それが嘘だとも知らずに無邪気に喜んでいる姿が不憫でならないからです。
さらに苦しいのは私と家内の間に嘘の壁が立ちはだかることです。私たちは何でも話し合う夫婦でした。こんな重要なことをいつまでも隠しておいて平気な顔で振る舞うような器用なことは私にはできません。その出来ないことを無理をおして何もなかったかのように待合室に移りました。
支払い手続きに時間がかかりそうだったために彼女が一足先に家に戻りました。生協の宅配物の時間になっていたからです。
私は待合室で一人になるや否や涙がとめどもなく溢れてきました。ただ悲しくただ苦しいままに祭壇の角を掴んで叫ぶ思いでいました。するとそこへ病院を出たはずの家内が戻って来たのです。私に健康保険証を渡すためでした。私は急いで涙を拭い何食わぬ顔をしました。ばれたかも…。
しかしあらゆる人間関係の中で最も親密な夫婦の間で芝居ややせ我慢を続けるのはどう考えてみても矛盾しています。私は今日中に彼女に事実を伝える決心を固めました。

木曜日の夜は伝道集会です。悲しみの中にありましたが自分を叱咤激励しながら個人伝道しました。
夜の9時半からはテモテ会です。長老と執事的な働きを担う兄弟たちとの学びと相談です。まだ兄弟たちには言う時ではありません。なぜならこのような重大なことはまず本人にしかも夫である私の口から話すのが筋だからです。
ただ山森兄だけには帰り道お話ししました。今晩本人に告知するので祈ってほしいと。

家について12時近くなった頃私は彼女と二人きりになれました。そして祈りながら準備した言葉を持って彼女に告知しました。
「実は君の病気の事なんだけどガンなんだ」「…だいぶ悪いの?」「第4ステージの末期ガンなんだ。」
「これからどうなるって?」
「治療をしても今の医学では手遅れだって言ってた。もって半年って言ってた…。でも僕はあきらめるのは早いと思う。現代医学では見放されたのに代替医療で生還した患者がいるにはいるんだ。だから僕らも主に癒されるように祈って行こうよ」そう言って祈り会をしました。祈り前に「何を祈ってほしい?」と聞きました。すると「願わくば癒されるように。そして何より神様の栄光が現れますように」
私は心注ぎ出して主に祈りました。祈りながら癒しを願う心が定まりました。というのは彼女が今このタイミングで取られる意味がどうしても分からないからです。

彼女はキリスト伝道者である私を支える第1の人です。
私は今まで大変祝福された働きを導かれて来ました。大抵の伝道旅行で必ずといって良いほど実を刈り取れました。告白者が無いときでも何かそこに新しい主の働きを見ることが出来ました。しかしそれはみんなバックアップする人がいたからです。私のバックアップをする筆頭は妻です。彼女無しに今までの働きはあり得ませんでした。彼女を失うことは今までの働きが出来なくなるという事です。
さらに彼女は三人の子どもたちにとってかけがえのない母親です。今年は三人とも十代の若者で受験生です。いろんな意味で家庭をしっかり守るお母さんがどうしても必要です。
そして集会にとっても貴重な働き人でした。彼女が関わる初信者の姉妹や求道者、様々な働きはとても大切なものばかりでした。だから私は彼女が取り去られることが神様のみこころだとはとても思えません。主に祈りを禁じられるまでは祈って行こうと思いました。祈り終えると二人で床に寝転びました。そして手をつなぎました。ずっと黙ったままの彼女に聞きました。「怖いか?」「ううん。怖くはない。たぶんピンときてないからだと思うけれど」しばらくの沈黙の後で彼女は言いました。「何だかこれは主から賜ったもの、という感じがするの。恵み深いイエス様が私たちにくださった恵みだと」「どんな恵みなん?」「まずガンにかかったのがあなたではなかったという恵みよ。もしわたしがあなたの立場であなたが私の立場ならもうこの家は真っ暗になると思うわ。これが逆じゃなくて良かった!それからあなたのための病かもしれないって思うのよ。あなたは私が大病を患ったり一大事になるたびに主によって変えられてきたもの。この病気は今までで一番深刻だけどそれは今までで一番素晴らしくあなたが変えられていくためかも知れないわね。そう思って受け止めます」

彼女は涙ひとつこぼしませんでした。元々ほとんど泣かない女性です。うじうじメソメソするタイプの人ではありません。だから私はなだめすかしたり腫れ物に触るような気遣いが要りませんでした。彼女は私を誰よりも頼りにし、何でも相談出来る相手として信用していました。しかし問題理解の最優先軸は主と自分の関係でした。どんなに重い問題について話し合うときでも彼女といて息苦しくなったことはありませんでした。主にしか解決出来ないことを私に求めたり主にしか答えられないことを私に問うたりすることがないからです。彼女はしがみつく相手をちゃんと心得ていました。だから聞いた瞬間から病気そのものより主の意図を考え始めたのでした。主にあって自立している人は健康的に人にも依存出来るのだと思います。

さぁ私たちの闘いはこうして始まりました。

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