家内の回復のために長い間お祈りくださりありがとうございました。
皆さまから届く激励のお便りにどれほど励ましをいただいたかはかり知れません。さらに彼女が天国に凱旋した後も遺された私たち家族の事を気にかけ続けてお祈り下さ方々から近況をお尋ねいただき光栄でした。こんなにも皆さんから愛され祈られ応援される私たちは一体何者なのでしょう。天下の幸せ者です。
さて本来であるならば個別にお返事を差し上げるべきなのですがまだまだ残務整理に追われる毎日です。また同じような喪失体験をし未だ苦悩の中にある方々が少なからずいらっしゃることも今回知りました。それで私は続けてブログを書くことにしました。
今までお世話になった皆さんに「大都会の小さな家」のその後をお知らせすることで少し安心していただけたらと思います。
悩みの渦中にある方々にはあまり変わり映えしない私たちの日常生活を通して特別な人間なんかいないんだと安心していただきたいと思います。
ブログはhttp://maruta.be/gt516です。
「主とともにあゆむ-高原剛一郎ブログ」で検索すれば辿り着けます。
皆さんの上に主の豊かな恵みと見がありますように!
高原剛一郎。
Filed under: report on 10月 7th, 2009 | コメントは受け付けていません。
多くの方からのリクエストがあったため、「偲ぶ集い・召天記念式」での「思い出・聖書メッセージ」を公開します。
聴く方法は2つありますが、ダウンロードする方法をお勧めします。
ブログ上で直接聴く場合
プレーヤーの再生ボタン(三角ボタン)をクリックすると再生
偲ぶ集い
召天記念式
PCにダウンロードして聴く場合
ダウンロードはこちらのリンクから
Zip形式で圧縮しています(7MB)
サイト管理者
Filed under: report on 10月 1st, 2009 | コメントは受け付けていません。
兄弟姉妹のみなさまへ
お祈りありがとうございました。「偲ぶ集い」には600名、「召天記念式」には400名の人々が集まり姉妹を偲ぶことができました。何よりも姉妹の念願である福音が大胆に証しされ、集会始まって以来、最大規模の福音集会となったことは、本当に主の栄光の顕現でありました。大人数のゆえ、いろいろ不便をおかけしたことや不手際があったことを主にあってお許しください。
姉妹とのこの地上での別れは大きな痛手です。しかし、「最善以下をなさらない」主ご自身の深い御心の一端を私たちは知りましたし、今後もますます明らかにされることを確信しております。
祈ってくださった日本中、世界中の兄弟姉妹に心から感謝申し上げます。
2009年9月25日
東住吉キリスト集会
Filed under: report on 9月 28th, 2009 | コメントは受け付けていません。
昨晩私たち家族4人は集会所に泊まりました。そして近くの銭湯に行きました。息子二人と湯船に浸かりながら天国に行った彼女がどんなに感激しながら偲ぶ集いを見ていたことかと話し合いました。どんなに話しても彼女の思い出は尽きません。とにかく次々にお母さんのしたこと、語ったこと、大胆不敵な行動とそこに秘められた優しさが思い返されるのでした。
私は改めて子どもたちがどんなに彼女を愛ししたっていたかがわかりました。そして自分こそが一番愛されていると思って私の知らないエピソードを教えてくれるのでした。まるで主と12弟子の関係のようですらありました。
父親として子どもたちが母親を誇りとしほめたたえているのを見ると自分自身がそのようにされるより嬉しくなります。
集会所に戻ると私は明日の召天記念式のメッセージ準備に取りかかりました。
実は来月の今日24日は私たちの22回目の結婚記念日でした。もっとも過去私たちはこの日に結婚を記念して過ごしたことは2回くらいです。私たちは互いの誕生日も子どもたちの誕生日も一緒に過ごしたことがまずありませんでした。伝道旅行が多い私はそもそも大阪にいなかったからです。しかし必ず日を変えてお祝いしました。念入りな準備をして。今ではひとつひとつが宝石のような思い出です。
私はメッセージの準備に取りかかっものの二人で歩んできた22年間を振り返っているとあっという間に時間がたってしまいました。なんと朝の6時半です。一時間だけ寝ることにしました。
召天記念式では二人の兄弟が彼女の思い出を語ってくれました。長男主悦と山森兄です。素晴らしかった。あまりにも切なくあまりにも希望に満ちたそれは故人の思い出と言うより福音メッセージそのものでした。福音によって初めて持ちうる希望がここにありました。今日の召天記念式はこの二人の挨拶だけで十分だと思いました。
私が今日語るみことばは決まっていました。ローマ書8章31~39節です。神を愛する人々すなわち神のご計画に従って召された人々をキリストの愛から引き離せるものは何もない。死もいのちも艱難剣の只中にあっても私たちは私たちを愛してくださった方によって圧倒的な勝利者となると語りました。それは私の身の上に起こった時に真実だと確認したことなのです。
これは本当に不思議なことです。キリストを信じる故に受ける艱難、キリストを信じているのに受ける苦しみ、キリストに忠実な歩みをするなかで降りかかってくる欠乏や危険はクリスチャンをキリストから引き離なすどころかそれを受ける以前より一層キリストから離れられない人にしてしまうと言うのですから。
一体誰が好き好んで死や病や苦しみ、危険を望むでしょう。クリスチャンであっても同じです。しかしクリスチャンは苦しみの中を通ると前にも増してキリストにある神の愛から離れられなくなってゆくのです。
家内の病気を医師から告げられた時私にとって最大の苦しみは彼女が私たちの手から取り去られる事でした。今彼女と死別してしまう事でした。だからこそ私たちは必死で主に癒されるように祈り努力しやるべきことをやって来たのです。それなのにあれほど恐れていた事が現実になった今私の心を満たしているのは静かな感動なのです。それは今まで見えなかった世界が見え始めたことの感動です。
私は見えない天国が今見える世界よりも確実な世界だとわかりました。天国は夢の国ではなくこの今の世界こそは夢の国です。夢の中で起こることは例えどんなにうれしい内容でも喜び過ぎるほどのことはありません。どうせ夢なんですから。楽しければ楽しいほど覚めたときに何だ、夢だったのかとガッカリしておしまいです。また夢の中で経験した悲しみはそれが如何に痛ましいものであっても悲しみすぎる必要はありません。どうせ夢なんですから。夢の中で絶叫し涙を流してのたうち回ってもたいしたことではありません。いつか覚めるのです。そして目覚めた時には言うでしょう。夢で良かった! さぁ起き上がって生きていこう!
長く続く闘病生活の中で幾度か口にしたのはこれが夢であったらいいのに!でしたが実はこの世自体が何時かは終わりを迎える影の国なのです。
真の現実主義者はこの世ではなく天国のために生きるはずです。消えるものに一喜一憂せず消えて行かないものに目をとめます。私は肝心なところではシビアな現実主義者でありたいと思っています。
ヘブル人への手紙11章13節にはアブラハム、イサク、ヤコブが約束のものをはるかに見て喜び迎え地上では旅人であり寄留者であることを告白していたと記録されています。ところでこの親子三代に渡る族長たちには一つ共通点があることに私は気がつきました。三人とも最愛の妻に先立たれた夫たちだという事です。
サラはアブラハムよりも10歳も年下なのに彼女が先に召されました。リベカもイサクよりも先に召されているようです。ヤコブはイサクと再会していますがリベカとの再会記録が無いからです。またヤコブも自分より先に最愛の妻ラケルを亡くしました。それが彼にとってどれほど辛かったかは創世記48章7節を見ればわかります。「私のことを言えば私がパダンから帰って来たとき、その途上カナンの地で悲しいことにラケルが死んだ」ヤコブは50年前の妻との死別をエジプトで良い生活をしながらなおあの悲しさを忘れる事が出来ないでいるのです。ヤコブよ。私はあなたを友と呼びたい。かの国で大いに語り合おうではないか。
三人の族長たちはみんな自分の同志であり苦楽を共にした妻を天国に送っていました。言わば彼らは宝物を天国に預けて地上を歩んだのです。妻が天に帰った今、天国は私の最大関心事です。なぜなら「あなたの宝のあるところにあなたの心もある」からです。
彼女の死は私をして天国を触れるほどに近いところにしました。
また彼女の死は子どもたちにとっては母親の死でした。この事については随分悩み思い煩っていました。しかしみことばが与えられてからは心配よりも主への期待が大きくなりました。そのみことばはダニエル3章24~27節です。
今は異国のバビロンで名前まで変えられてしまった3人の若者たちの記録です。シャデラク、メシャク、アベデネゴはユダの国から捕囚として連れてこられたのです。おそらく両親はすでに殺されていたのかもしれません。彼らは幼い、しかし明確な信者でした。その彼らが火炎の炉の中に放り込まれた時、火炎の中で縄目を解かれて歩いているではありませんか。しかも第4のものがそばにいて彼らを守るので「彼らは何の害も受けていない」彼女が言っていたのはこの事だったのかと思い至りました。3人の若いユダヤ人信仰者を守るのも3人の若い日本人信仰者を守るのも主にとっては同じ事です。いや、むしろ今の時代の信仰者を力づけるために聖書は書かれたのです。私が励ましを必要としている時にこんなに美しいみことばで聖なる勇気をそっと下さるキリストの愛から私は離れられません。あぁ圧倒的勝利者とはなんという嬉しい響きでしょう。
斎場から戻ると夕方になっていました。姉妹が召天記念式の会場になったホールに掃除機をかけながらずっと泣いていました。式が終わって4時間もたっているのに。大抵のお葬式は式が終われば皆忘れてしまうけれどキリストにある家族はすごいなぁと息子が関心していました。それを聞いたら涙が止まらなくなりました。彼女は私の妻であるだけでなく東住吉の姉妹です。私たち家族は神の家族に囲まれています。なんと幸せな家族でしょう。兄弟姉妹!本当にありがとう!
彼女は最後の最後まで主には癒す事がお出来になると信じていました。またそうして下さる事を期待していました。それは癒されて再び伝道者の妻として私に仕え、またクリスチャンの母親として子どもたちを育てることで私たちが神の器としていただくためにいくらでも貢献したいと望んだからです。病気が癒されることそのものが目的ではなく癒された結果私たちがたてあげられて行くことが願うところでした。
全能の主は彼女が共にいるよりも取り去られる事のほうがより彼女の念願に答えることになるとご存知だったのでしょう。なぜなら聖書はこう言っているからです。
「どうか私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところの全てを越えて豊かに施す事の出来る方に、教会により、またキリストイエスにより、栄光が世世に渡ってとこしえまでありますように。アーメン」
とするならば私たちはキリストにあってこれからを大いに期待してよいのです。
主よ。私たちの涙と悲しみと祈りを持ってあなたを礼拝します。主お一人が栄光をお受け下さい!
今回を持ってT姉妹の状況は最終回と致します。
元々ブログではなく集会内の祈りの課題からスタートしました。いつの間にかブログになってびっくりしています。どうせここまできたならば初期の内容に日記の所感を付け加えて全日信仰日記として完成させたいと思います。
また偲ぶ集いと召天記念式の挨拶とメッセージはMP3できいていだけるようにアップ致します。
また東住吉集会から祈ってくださった集会に葬儀のDVDを送らせて戴くつもりです。ご愛読ご支援を心から感謝致します!
高原剛一郎。
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