神は人を公平に取扱います。(ローマ2:11)「キリスト」という単語を聞いたことがなくても、被造世界 (自然、宇宙、人間など)を観察することを通して、神を知り従うことはできます。(ローマ1:19-20)与えられた知識の中でどのように生きたかを神は裁かれます。一方、聖書の神に関する知識は、私たちが思っている以上に大昔から世界中に広がっていたことも近年わかってきました。滅びゆく人間を一番気にかけ、愛しておられるのは私たちではなく神ご自身です。私たちの心に「公平さを願う思い」「あわれみの気持ち」を与えられた神は、私たちが思ってもみない方法で、すべての人々に救いのチャンスを与えてくださったはずです。

罪と裁きからの救いは、イエスを救い主と信じる「個人の信仰」のみで十分です。それ以外には全く必要ありません。しかし、神はクリスチャンの霊的成長を願っておられます。その鍵となるのが神の家族=教会です。(エペソ1:22-23)新約聖書の手紙(書簡)では、クリスチャンが教会という神の家族との関わりの中で生きて行くことを大切なこととし、多くのアドバイスがなされています。つまり、教会に集うことはあたなのためであり、同時に神の御心、神の願いです。

神(創造主)との関係が回復し、神と一緒に永遠に生き続けることです。イエス・キリストを救い主と信じた人は、そのとき以来永遠のいのちが働きはじめています。一方、キリストを信じない人は、神(創造主)との関係が永遠に断絶したままです。

聖書のことば
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)

「御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。」(ヨハネ3:36)